女川さいがいFM☆中の人かく語り記

A small small radio station was born in the town which suffered destroying damage by the past which isn't so far, 2011 and a tidal wave.

ドキュメント・女川さいがいFM:2011年3月12日土曜日 故郷はどこへ消えた?

では、そもそも女川さいがいFMはどうして生まれたのか?

なんのために?、誰のために?、放送を送り届けてきたのか?

 

全てのはじまりは2011年3月12日土曜日、朝8時過ぎまで遡る。

 

「あちゃー、全部無くなってる!!」

テレビから映る宮城県女川町の空撮ライブ映像を見て、男は思わず声を上げた。

 

男の名は松木 達徳 40才、

テレビが、いま、まさに映し出しているその女川町の出身、
実家はJRの女川駅近くにある商店街で薬局を営んでいた。

 

過疎化が進み、未来のないふるさとに興味が持てず、

高校卒業後、東京へ出て早20年

最近は年に1~2回帰省するくらいの故郷だった。

両親も高齢となり、数年前から店もシャッターを下ろしたままになっていた。

 

それでも自分の育った我が家である。

見間違うはずもない・・が、周囲にあった町並みと共に

本来在るはずの場所から綺麗さっぱり消え去っていた。

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ドキュメント・女川さいがいFM:2015年9月11日金曜日 残り時間はあとわずか

女川小学校の校庭の片隅にある女川さいがいFM

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人口六千人の漁村である宮城県女川町とその周辺地域に、

地域情報を中心とした番組や音楽を

FMラジオとインターネット配信で放送しているラジオ局だ。

 

スタジオは四坪ほどのプレハブ もとい トレーラーハウス

 

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現在は一日一回昼に2時間の生放送を行い、

その他の時間帯は音楽や事前に録音した番組を放送している。

 

小さいとはいえ、国の免許を受けて運営しているれっきとした"放送局"である。

 

聞こえる範囲は小さくともその担う責任や役割は、

ニッポン放送やTOKYOFM、あるいは日本テレビやフジテレビといった

皆さんよくご存じの放送局と変わらない。

 

しかし、実際に番組に出演しているのは

そうした放送局と違い、有名なタレントでも、滑舌のいいアナウンサーでもない。

 

下は中学生から、商店街のお店の店主や学校の先生まで

ほぼ全員がこの小さな町や周辺の地域で生まれ育ち、

今も住んでいるごく普通の「町民」である。

 

基本的には全員がボランティアだが、

中にはそこから転じて、

現在はこのラジオ局専任として、

給料をもらって活動しているスタッフも3人いる。

 

東日本大震災による津波で町の八割の建物が流されるなど

甚大な被害を受けたこの町では、

被災後、しばらくの間、ライフライン全てが失われ、

ケータイの電波はもちろん、防災無線も使えなくなり、

町の中と外だけでなく、町内にさえ情報を伝える手段がなくなった。

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そうした状況をなんとかしようと東京からのボランティアと、

その呼びかけに応じた地元の若者たちが協力し、

臨時災害放送局”という制度を利用して作ったのが、このラジオ局である。

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最近のお問い合わせについて

女川さいがいFMには、番組宛のリクエストやメッセージ以外にも、毎日のようにたくさんのメールやTwitter、あるいは電話で様々な世代の方からお問い合わせやご連絡をいただきます。

よく勘違いされているようですが、女川さいがいFMは会社組織ではなく、いまもなおボランティア・有志による任意団体です。ので、FMの仕事を専業として「雇用」されているスタッフは3名のみ。その彼らの給与も、宮城県による助成金から支払われており、一年ごとに継続できるかハラハラドキドキ綱渡りというのが実情です。皆さんからいただいている寄付金はスタジオの電気代、光熱費、取材のガソリン代などその他、放送を維持するための経費を賄うために使わせていただいています。もちろん、そちらも正直ギリギリです。

当然、彼らだけでは放送は廻りませんので、それを高校生を含むパート・ボランティアスタッフ(大人2名、中高生5名)の力を借りたり、さらに事務方や技術面では東京から遠隔で、あるいは毎週通っている運営スタッフ3名+初期から応援してくれているボランティアスタッフ若干名で切り盛りしています。

当然ボランティアはそれぞれに仕事や学業がありますので、人数はいても=一人分の仕事ができるはずはなく、また24時間、放送を廻していくにはギリギリ以下の人数と体制です。なので、メールや電話についても、誠に申しわけないのですが、対応が追いつけず、少しお待たせする場合もあります。

多いのは「今かかってたのはなんて曲?」とか「さっき話していた内容について詳しく知りたい」といった問い合わせ、町内でお店をやっている方から「いついつバーゲンやるからお知らせしてほしい。」といったもの。

ついで遠方からインターネットを経由して聞いておられる方から、「いついつ女川町に行ってみたい、ぜひスタジオ見学に行きたいが構わないだろうか?」といった問い合わせ。あとは新聞や雑誌、テレビ局の方からの取材・問い合わせ。

それらはすべてFMの活動に関わるモノですから、当然対応させていただくのですが・・、最近はまた、それらとは違う問い合わせやご連絡が増えていますので、そのへんについて触れてみたいと思います。

 

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広島からの受信報告!

3年連続で全国人口減少率のトップをひた走る女川町、

誠に残念ではありますが、我が女川さいがいFMは

その町内にしかFM電波を飛ばせないわけで、

現在はインターネットで聞いて下さる「町外」リスナーさんの方が

数の上では多くなっているかもしれません。

 

また「町内」であっても、山あり谷ありのリアス式海岸という地形や、

案外広い(人よりも鹿が多い地域含めて)その面積もあって、

電波が届きにくい・聞こえにくい地域もあったりして

ご不便をおかけしております。

 

が、

FMラジオの電波というのは不思議なもので、

「町内」では入りづらいのに、塩竃市や南三陸の一部では

「町内」並かそれ以上によく電波が届いている場所もあったりします。

 

これはまさに電波のマジック

 

FMラジオの電波は「光」に近い性質を持ち、

見通しがよかったり、間に遮る建物や山がなければ

結構遠くで聞こえたりもするわけです。

 

で、私達に限らず、全国の放送局では

そんな電波のマジックの実情を調べるために、

昔から「受信報告」というのを受付しております。

  

http://onagawafm.jp/verification_cardonagawafm.jp

  

どこそこでどれくらい聞こえたよ~!というのを書面で送っていただき、

それが間違いないと確認できれば、放送局からはお返しに

「受信確認証」(=ベリカード)というものを発行してお返しする

 

だいたいこういう仕組みになっていまして、

世界中の放送局で実は執り行われています。

 

で、そんなベリカードを集めている熱心なラジオファンの方が

実は全世界に結構いらっしゃいまして、

1970年代にはブームになっていたこともありました。

 

女川さいがいFMでも、一応、

開局当初からこのベリカードをご用意しているのですが、

なにしろほとんど現地にこないと聞けないものですから、

(サイマルラジオなどネットからの聴取に対しては発行しません。)

旅行や仕事のついでに来た方や、普段ネットで聞いて下さっている方が、

女川町を訪れた際に申請してくださるような感じで、

 

ぽつりぽつりと発行しております。

 

とはいえ、4年間ですでに3度目のデザイン変更(歴代スタジオごと)がなされ、

この春からは佐藤敏郎の大人のたまり場 の番組収録風景をメインにしたものに

刷新されていたりするのですが、

 

先日、この新しいデザインのカードが発行されました。

送り先は・・・ 広島県・・・

 

!?

 

わざわざ広島から来たの?と思いきや、

広島で受信したとのこと。

 

え~!?一体どうやって!?と思う方もいらっしゃると思いますが、

実はFMラジオの周波数では毎年5月頃~夏にかけて、

俗にEスポと呼ばれる、電離層の伝搬異常の影響で、

数百~1000km位離れた土地に電波が届いてしまうことがあるのです。

 

女川から広島までを地図で計ってみると・・

確かにちょうどいい案配の距離だったりします。

 

もちろん太陽の気象条件によって発生する現象なので、

安定して聞こえるときもあれば、いきなり聞こえなくなったりもするのですが、

うまくすると数十分~数時間にわたって聞くことができたりもするわけで・・

 

4年間やってきて、理論的には「ありうる」と思ってはいたものの、

本当に報告が届いたことで、改めて電波のマジックに感動したのでありました。

 

で、受信された方もその想いは同じだったようで、

わざわざwebにてその報告を、お送りしたカードと共に掲載してくださってました。

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 http://www5b.biglobe.ne.jp/~k-kisuke/cfm/joyz2ag.htmlwww5b.biglobe.ne.jp

 

 ここにご紹介するとともに、

まだ夏ははじまったばかりなので、

皆さんもこのマジックに出会えるチャンスはあると思います。

 

西日本の皆さん、よく晴れた日など

79.3MHzにあわせて、聞こえないか試してみてくださいね。

(ただし熱中症には気をつけて)

高校生が未来を創る町 女川町 七つ目のいのちの石碑

今週末は連休、そして全国的に夏休みシーズンに突入します。

女川町でも様々なイベントが予定されていますが・・

 

19日の日曜日は、朝10時~から

町内・野之浜港(旧牡蠣処理場の前)にて

通算で7つ目となる「いのちの石碑」のお披露目が行われます。

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「いのちの石碑」とは現在高校2年生。

震災時はまだ小学生だった世代の女川中学校・卒業生達が

在校時から取り組んできたプロジェクト。

 

町内各所の津波到達地点に石碑を設置し、

1000年後の人たちにまで、あの津波の破壊力・被害の大きさを残そうというものです。

あの震災を経験した自分達が、未来へ何を残すかを真剣に考えて活動してきました。

現在では具体的な教訓を書き残す「いのちの教科書」作りなどのプロジェクトも行っています。

 

高校生になった今は、仙台などに引っ越ししたメンバーもいますし、

今後さらに進学や就職などで全国へ散っていくだろう若者達ですが、

彼らの想い・取り組みは真剣そのもの。

 

そして今回はさらに・・

その建立式に先立って、朝10時~から避難訓練も行われます。

 

町外の方は意外と感じるかもしれませんが、
実は女川町では、震災後はほとんど避難訓練は行われていません。

 

と、いいますのも、ほとんどの人が自宅や職場を津波で流された結果、

現在住んでいる仮設住宅などは全て高台に建てられているため、

もし仮に津波がきた場合も、避難する場所=今住んでいる場所 となってしまうので、

避難訓練のしようがないというわけだったのです。

学校なども同じく高台にあるため、同様に訓練の必要がありません。

 

また、正直に申せば、避難訓練などを行うことによって、

辛い記憶を呼び覚ましてしまうということへの配慮もあったのかもしれません。

 

とはいえ、漁港の機能も復活し、町中心部や商業エリアの整備が進む中で、

そうした海に近い場所にいるときに、もしもが起きたら?? というのは、

やはり考えていかねばなりませんし、

なによりあの震災を経験したとはいっても、

時間の経過は平等に起きるわけで、

いざというときの油断も生まれている可能性があります。

 

今回、高校生達の提案ではじめて行われる避難訓練ですが、

「いのちの石碑」をはじめ、彼ら未来を担う世代の提言が大人達を動かしていく・・・

 

女川町ってそんな町でもあるのです。

 

連休中、町内へいらっしゃる方は、よろしければぜひご参加ください。

 

追伸 

女川さいがいFMをいつもお聞き下さってありがとうございます。

 今月から番組の補足を兼ねて、

またTwitterで時折書いていた「ぼやき」をもう少し長めに・・

くらいの感じでブログを書かせていただくことにしました。

 

よろしければ、お付き合いください。